改めて、そんな事を考えたことがあっただろうか。
今まで色々な表現手法を試みてきた。
その中でも、四半世紀もの間、
この写真という表現だけをずっと続けられたのは何故なのだろう?
何度か語った記憶があるが、私は元々写真を専攻していた人間ではない。
どちらかと言えば、イラストレーションやデジタルアートが表現のメインだった。
当時の風潮としても
「フィルムやテープは古い。最新のデジタルを使え」
という圧力が強く、今でこそLo-Fiな質感はフォーカスされているが、
当時は新しいものを使わない意識は淘汰される時代だった。
そんな抑圧された環境の中で出会った「トイカメラ」が、全ての始まりだった。
最新機材が持て囃される中で、あの不完全さや濁りのようなノイズは、
当時の自分にとって強烈に興味を惹かれる対象だったのだ。
そこから視野は広がり、写真の授業にも積極的になった。
フォトコラージュも試みたし、
父から借りた初めての一眼レフ、Nikon FM2は私にとって最高の先生だった。

ある時、学校の講師に自分の写真作品を見せた際、
「これだけ東京に人気を感じさせないものを捉えているのは才能だ。これを続けなさい。」
と言われた。この言葉が、今も自分の作品の根底に静かに息づいている。
私が人を殆ど撮らないのは、
意識的に人があまり好きではなく、関心が向かないからというのは確かにある。
自分の中に絶対的なソリチュード(孤独)を持っているからこそ、だ。
「魂の無いものに魂は宿らねえんだよ」
と、あるカメラマンは言っていた。 理屈としてはそうだろう。
だが、私は自分なりの心象風景――例えば、
鉄塔や電線が張り巡らされたあの薄暮の景色、無機質な公園のオブジェや木々。
そんな「人ではない何か」との対話や交信を、密かに自分の写真に収め続けてきた。
音楽的な話をすれば、私の入口はクラブミュージックだが、マインドの始祖は「ロック」だ。
「争いや理不尽に対して、暴力ではなく言葉や音楽、アートで答える」
それがロックだと思っている。
ここ数年の激動の人生の中では、人の親切に触れることもあったが、
それ以上に理不尽な事や、納得出来ないケースに直面することばかりだった。
特に行政や社会のシステムに対しては、その思いが強い。
こうした抑圧的な勢力、いわば「バビロン(Babylon)」に対する反旗と抵抗も、
私の表現の中には確実に含まれている。

メインストリーム的な写真のレッスンは受けていない。
基礎的な写真のいろはも、自然と独学で身についてきた。
それでも続けてこられたのは、
コミュニティや創作に対するモチベーションを維持してくれる、
人間関係に恵まれていたのだと、思い返せば本当にそう思える。
そして何より、オーディオとカメラに拘り、
それを生涯の趣味としていた父の影響も大きいだろう。
何度か、写真を辞めようと考えた事もあった。
父が急逝した時、或いはその前後も
「もう二度と撮ることはないだろう」
と本気で決めていた。
だが、今はその父の残したカメラを使っている。
幽世(かくりよ)の父と、現世の私の視神経を、
きっとこのカメラが繋ぎ止めていてくれるのだ。
私にとって写真とは、「刺激」であり「痛覚」だ。
痛いからこそ、自らの心に閉ざした感覚にも、
誰かの見えない痛みにも寄り添うことができる。
同時にそれは、人間関係に疲れ果てた私が、
世界と安全に交信するための「触覚」であり、
理不尽な現実を生き延びるための「呼吸」でもある。

ファインダー越しに見せるものは、紛れもない「現実」だ。
でも、その背景には「当たり前」という言葉だけでは
片付けられないものが沢山隠されている。
だからこそ、私はつまずき、抗い、そして写真は果てしなく面白いのだ。
