昨今ではデジタルのパキパキした写りに飽きてきた人も多いんじゃないかと思いますが、
私のカメラとの馴れ初めといえば、真っ先に「HOLGA」という名前が浮かびます。
中国製のプラスチックで出来た、いわゆる「トイカメラ」です。
美術学校の頃、カリキュラムの中には写真の授業もありました。
フォトコラージュなどは楽しかったものの、
当時の私はひたすらドローイングなど絵を描くアートに夢中で、
写真そのものの概論にはあまり関心が向かなかったのです(今思うと勿体ない話ですが)
情景を「写す」という行為自体に、当時の自分はピンときていませんでした。
そんな中、学生の間でソビエト製のカメラ「LOMO」が話題になっていました。
色がパキッとして周辺が暗く落ち込む独特の写りを見て、
「ちょっと楽しそうだな」と惹かれたのを覚えています。
ただ、すでに一大ムーブメントになっていたLOMOは、
貧乏学生がお試しで買うには少しハードルが高かった(笑)
そこで並行して白羽の矢が立ったのが、当時5000円程度で買えたHOLGAだったんです。
「このくらいだったら試してみてもいいか!」という軽い感覚で選んだら、
実際はブローニーという紙巻きの巨大なフィルムを使用する仕様で、
写真初心者の私には「はいぃ?」となることばかりでした。
当時は色んなサイトのTipsを参考に撮影に挑みました。
一応ピントや絞りの設定はあるものの、初期ロットに至っては「絞りなんて無かった」
という超適当な仕様。細かいことは無視しても大丈夫です。
少し変わったレンズ横のレバーを押し込むだけでシャッターが切れます。
確か絞りはほぼF8固定、シャッター速度は1/100程度。
昼間の屋外でISO400のフィルムを詰めておけば、大体写る。難しいことは何もない。
ただシャッターを押すだけ。でもデカい。そんなカメラでした。
でもね、こんなシンプルなカメラで撮った写真が凄く良いんです。
少し古い映画のような、中央にはピントが来ているのに全体的にソフトフォーカスな質感。


ね?なんか独特でしょう?
フィルムも至って普通のコダック製だったと思います。
上で紹介した写真はまだ模範的ですが、実際はもっと暴れます。
パーマセルテープ等でしっかり遮光しないと裏蓋から赤い光が漏れ込みますし、
作りがヘナチョコなので裏蓋がすぐに外れ、フィルムが感光して台無しになった経験も(笑)
初期型には正方形(6×6)のマスクが付いておらず、
無理に撮ろうとすると光線漏れやフィルムの巻き太りが恒常的に起きて、
それはもう大変でした。
しかし、この欠陥とも言える構造が引き起こす「偶発性」こそが、
当時のカルチャーにウケていた気がします。
レンズにわざと傷をつけたり、ボディに穴を空けて感光させたりする人もいました。
意図しない失敗も「お前なら許そう!」と面白がる精神があり、
現像の仕上がりに毎回ハラハラしたものです。
シャッター機構自体も自分で修理できるほどシンプルで、
バルブ撮影機能がない初期機種に自分でネジを打ち込んで改造する方法すらありました。
現像所からの
「フィルムが感光していて正常に現像できませんでした」
というお叱りの紙は、HOLGA使いにとってはお約束です。
見出しの写真にある現在の私のHOLGAは、
マスキングテープとヘアバンドでガチガチに蓋を固定していますが、
これはちょっとヒヨっているだけ。荒々しいあの偶発性を味わうなら、
素のままで使ってみるのも一興です。

最近は120(ブローニー)モデルはあまり見かけませんが、
一般的なフィルムを使う「135モデル」なら現行でも手に入りやすいはずです。
こちらも上記のような独特の写りが楽しめます
(普通のフィルムで撮った作例が見つからなくてスミマセン…笑)
あの周辺が流れるようなノスタルジックな質感は体験できるので、入門編としておすすめです。

こちらも今は入手困難ですが、デジカメ版の「HOLGA DIGITAL」もありました。
正方形フォーマットでデジタル撮影できるのは今でこそ珍しくありませんが、
発売当時は「お、思ったよりそれっぽいな」と感心したものです。
もちろん通常フォーマットやモノクロモードもあり、
通常モードで撮ると四隅がしっかり暗く落ち込みます。
ただ、ファインダー像と実際の写りの誤差(パララックス)が酷いので、
デジタルの強みを活かして保険で複数枚同じカットを撮っておくのが吉です。
慣れていても、やっぱりこの誤差にはヒヤヒヤします(笑)
上の写真は多少レタッチしていますが、写りがたまに不安定になる感じや、
デジタル特有のノイジーさがHOLGAらしくて面白いです。
「なんでこんな不便なカメラ使うんだよ」というツッコミもあるかもしれません。
でも、普段メインのミラーレスでかしこまった形式で撮るのとは対極の、
このシンプルさに回帰したくなる時があるんです。
(デジタルデトックスというわけではないですが)
そして何より、私の創作の出発点には、
音楽制作でもビジュアル表現でも「機械との対話による産物」という視点が根底にあります。
HOLGAがもたらす偶発性や、約束されていないランダマイズされた結果は、
まさに自分が作品作りで追求している部分に通じるからです。
ある東欧系カメラ使いの写真家がHOLGAを
「カメラというより、スケッチブックを持ち歩いている感覚」
と評していましたが、まさにそんな感じです。何よりシャッターを押すだけですし。
しかしアウトプットされるものは、究極的なリアリズムというよりも、
もっと感情的で不確かなものです。
たぶん、私自身がそんな思いを持っているからこそ惹かれるのかも。
あの頃、このトイカメラと出会っていなかったら、
今日まで写真に対する情熱を持ち続けることはなかったかもしれません。
